Coffee Break

日々の生活とか仕事とか趣味とか。あたまに浮かんだつれづれをさらりと書きつづります

閉塞感の正体

どうも。そらまめです。

今日は、以前書いた上京に関する話の続き。

 

以前『地元は好きだけど、地元の閉塞感が嫌で地元を出たかった』

なんてことを書きました。

 

最近その正体がわかったんですよね。

言語化できた、というほうが正しいかも。

 

そいつは

『強烈な保守性』

『自己正当性』

というもの。

 

・違いを受け入れているようで全く受け入れない

・自分の正当性を認識させるために他者を相対的に悪にする

文字にするとこうなる。

 

コロナ禍での実家周辺の状況や帰省について、家族と話していてハッと気が付いた。

あぁ、ワタシがずっと言葉にできなかったことはこれだったんだ、と。

10歳代の頃から持っていた感情の正体が姿を現した。

 

具体的に言えば

・感染してしまった家庭が自宅に住み続けられなくなる環境

・東京からの帰省に対する嫌悪感

 

自分たちは何も悪くない。悪い奴らがいるから自分たちの生活が脅かされるんだ。

そんな感情なんでしょう。

 

それがこのコロナ禍3年ほど過ぎても変わる気配がない。

わかった風で実はそうでもなくて、一度入れた知識と感情がリニューアルされない、というか・・・

 

もしかしたら、ワタシの実家周辺だけじゃないかもしれない。

田舎あるあるなのかな?

 

ちょっといじめの構造に似ている気もする。

 

 

こういうことか。

私がずっとわからずにいて、すっきりしなくて、こんなことを考える自分に少しの罪悪感を感じていた事は。

 

言葉として理解して

やっとわかった、というすっきりした気分と

こんなことだったのか、というがっかり感とが

ない交ぜになって何とも言えない気分だわ・・・